千年先に渡す、バトン 美しき志を紙にたくして

日本の美しい文化を伝え、
未来を創る担い手をご紹介します。
今回は、掛け軸などの表具の裏打ちに使われる
貴重な美栖紙(みすがみ)をつくる
日本唯一の工房を訪ねて、うるわしき手漉き和紙の里、
奈良・吉野へ。
ご先祖やご両親から受け継いだ伝統の技を守る
上窪良二さん・久子さんご夫妻と、
その志を未来へつなぐ若き後継者の布谷晴香さんに、
お話を伺いました。

柔らかく、ひめやかに支える紙

自然豊かな山里、吉野川の清流を見下ろす高台に、手漉き和紙の工房を構える上窪さん。良二さん・久子さんご夫妻と弟子の布谷さんの3人で、吉野に伝わる美栖紙を昔ながらの伝統製法でつくられています。

上窪良二さん
上窪久子さんと布谷晴香さん
薄くて、柔らかく、しなやかで強い、美栖紙

美栖紙は、掛け軸などの裏打ちに使われる和紙です。書画の裏に貼られる3~4層の紙のなかで、美栖紙は表から見えない中間の層に使われます。「裏打ちで最初に貼る美濃紙、仕上げに使う宇陀紙は、強度を保つ紙。それに対して美栖紙は、巻物や掛軸を柔らかく仕上げるための大事な紙として使われます。」と良二さんはおっしゃいます。「掛け軸を巻いたり広げたりしても、折れや筋ができないよう、薄くて柔らかく、それでいて引っ張りに強い紙です。長期の保存に優れ、糊との相性や他の紙とのなじみも良いんです。」
かつてはその薄さと柔らかさから宮中で鼻紙として愛用され、千年前、あるいは何百年も昔から伝わる書画の裏打ちに使われてきた美栖紙。JOY CLASS秋号でご紹介した岡墨光堂さんも、表具づくりや文化財修復に欠かせない紙としてとりわけ大事にされています。

柔らかく、ぬくもりが感じられる手触り
陽光降りそそぐ山の斜面にある上窪さんの工房

年月に磨かれ、自然と響きあう紙づくり

美栖紙は、高知産のアカソという繊維がしなやかな楮(こうぞ)を原料とします。アカソの皮をはがし、水で汚れを落として、チリや固い部分を手作業で取り除きます。それからアカソを木灰の灰汁液で煮熟して、繊維を柔らかくします。「高温では繊維を傷めるから、薪でまったりと焚きます。」と良二さん。紙素を、機械で粗くたたき、さらに細かく手打ちして繊維をほぐします。次に、紙漉きの準備です。紙素と水に貝殻からつくった胡粉を混ぜ、トロロアオイの根からとったネリを加えます。水中に繊維を均等に行き渡らせる粘り気のあるネリは、美しい紙を漉くために欠かせません。

楮を薪で炊きあげる「煮熟(しゃじゅく)」
ネリの原料となるトロロアオイ

いよいよ布谷さんが、紙漉きに取りかかります。師である久子さんが見守るなか、簀桁(ハカテ)をリズミカルにゆらす布谷さん。その気迫が伝わってきます。「縦にゆらすのは、繊維の向きを一定にするため。書画に対して紙の繊維を縦に貼ると、巻きや引っ張りに強くなります。」
漉き終わった紙を板に一枚ずつ貼り付ける「簀伏せ(すぶせ)」は、吉野だけに伝わる技で、紙を貼った板を天日に干します。半乾きになったら、板と紙の間にできた紋と呼ばれる気泡を刷毛でならして消します。この「紋消し」は美栖紙だけの工程で、タイミングを逃すとボコボコとした気泡が残ってしまいます。天候や季節によって乾く速さは異なり、急な雨風や黄砂、虫は大敵です。まさに自然と向き合いながら、つくる紙なのです。

漉き舟にネリを入れ、十分にかき混ぜたら紙漉き
均一に漉くのが難しい」と布谷晴香さん
漉きあがった紙を板に貼る「簀伏せ(すぶせ)」
板と紙の間にできた気泡を刷毛で消す「紋消し」

千年を生き抜いた伝統を、これからも

乾き具合の見極めも熟練の技のひとつ

昔ながらの紙漉きは、思い通りにならない天候や自然のようす次第。一つひとつの工程にとてつもない手間と体力が必要で、習熟するまでの年月もかかります。「機械化や化学素材を選んだほうが、そらラクです。でも、文化財を修復するための美栖紙は、そうしたらあきません。昔ながらの裏打ち紙に文化財が守られてきたことを、千年の歳月が証明しているからです。千年後の未来のためにも、製法や素材を極力変えずに守り抜かんと。」と熱くお話くださった良二さん。

修業を始めてから美栖紙が文化財修復に欠かせない紙と知った布谷さんは、「これほどに貴重な紙であること、また毎日触れている原料や道具が多くの方のご尽力のおかげであることを、知れば知るほどに気が引き締まります。」と言います。
原料のアカソやトロロアオイをつくる人、紙を漉く人、道具類をつくる人、一人として欠けても美栖紙の伝統は守れません。ところが後継者不足に悩まされてきたのは、どこも同じです。上窪さんも例外ではなく、ご夫婦お2人で技術を継承されてきたところ、大学で日本画を学び、伝統の紙漉きに強く惹かれた布谷さんが、ご縁に導かれて5年前に弟子入りされました。

紙板を天日干し。雨風の日は干せず、虫や煙は大敵
煮熟を行う釡 昔と変わらず、薪火でアカソを焚きあげます
代々100年以上も使われ続けてきた紙板

受け継がれる技、守り続ける志

久子さんは、高齢になられた先代のご両親を支えたい一心で、紙漉きの技を見よう見まねで学ばれてきました。幼い頃から家業を手伝われてきた良二さんも、会社を退職されてから紙づくりに専念されてきました。偉大な2人の師匠に、最初の頃はついていくだけで精一杯だったという布谷さん。「紙漉きはやればやるほど難しくてわからなくなりますが、嫌いになったことは一度もありません。完成や満足がない世界だからこそ、やりがいは大きく、楽しいです。」と微笑みます。

紙漉きの奥深さを語る布谷さん

「水やネリの具合は、毎日違いますからね。」とおっしゃるのは久子さん。「毎日違う自分自身も、紙にあらわれます。穏やかな気持ちなら穏やかな紙になるし、気もそぞろやったら紙が乱れます。何十年やっていても、『今日こそは』と思います。」という久子さんの言葉に、布谷さんはうなずきます。

「自分らしく続けてくれればいい」と笑顔もやわらかな久子さん

「私は折に触れて両親の誠実な仕事姿を思い出し、その後ろに脈々と技をつないでこられたご先祖の存在を感じます。原料は年々手に入りにくくなり、大変ではありますが、先人やまわりへの感謝を忘れず、自分らしく技を受け継いでくれたらうれしいです。」と、久子さんから布谷さんへエールが贈られました。
「責任の大きさとともに、師匠や多くの方々のおかげで紙漉きができる幸せを実感しています。まだまだ至りませんが、お2人の技と志を大切に、未来へつなぎ続けたいと思います。」と布谷さん。
柔らかくて強い紙に、3人の未来クリエイターがどのような夢を紡いでいくのか、愉しみでなりません。

Profile
上窪 良二さん・久子さん・布谷 晴香さん
表具用手漉和紙(美栖紙)製作技術 上窪 良二さん・久子さん・布谷 晴香さん

表具用手漉和紙(美栖紙)製作の国選定保存技術保持者であったご両親の「信頼を得るには手抜きしてはならない」との教えを守り、伝統の紙漉きに従事。2009年に同じく国選定保存技術保持者に、2020年には県伝統工芸士に認定。2018年に、布谷晴香さんを後継者に迎えた。長年の功績が称えられ、2022年春に旭日双光章を受章。

●奈良県吉野郡吉野町南大野19TEL:0746-36-6303

2023年10月現在の情報です。