ウルシスト® 加藤千晶さん
FEEL J株式会社 代表取締役。漆を通じて心豊かな生き方を提案する、漆文化研究家。日本の漆をサポートする活動・ブランド「ウルシピクニック」主宰。 新しい発想で漆文化と異分野を繋ぎ、幅広く発信中。2022年、漆にまつわる交流の場「漆文化醸造LAB」をオープン。
https://www.feelj.jp/

国産漆が、足りていない…!? 2015年に文化庁が文化財修復に原則として国産漆を使用する方針を掲げてから、国産漆のニーズは急増しましたが、素材となる漆の木の育成には10年~15年もの年月がかかり、 漆を使う文化財の修復に必要な量の確保が厳しい現状に直面しています。岩手県二戸市の漆工房・滴生舎に続いて、漆を通じた心豊かな暮らしを提案するウルシスト®加藤千晶さんにご案内いただいたのは、 貴重な国産漆の名産地・岩手県を中心に、漆の森を育む取り組みに 奮闘する方々がいる、盛岡市の上米内地区。 漆の守人を訪ねる旅をご一緒しました。

JR盛岡駅からJR山田線に乗って15分ほど、3つ目の駅「上米内駅」で迎えてくださったのは、細越確太さん。生まれ故郷の上米内で一般社団法人次世代漆協会を立ち上げ、地域の活性化を目指して岩手の地場産業である漆の森を育み、未来をクリエイトしている漆の木の守り人です。
一度は故郷を離れ、東京でのサラリーマン生活を経て、岩手へUターンをした細越さん。お父様がご高齢となり、所有していた山は荒れていきました。「その山を何とかしたい」との想いから、環境保全と家族との暮らしの両立を模索していた細越さん。家の近くの川辺にあった漆の木を目にしたことから、この道を歩み始めたそうです。
「漆の探求を重ねるうちに、漆が日本の文化と歴史と密接に関わっていることを知り、この偉大な天然素材の奥深い魅力のとりこになりました。」とにっこり。

縄文時代、あるいはそれよりも昔から、日本の暮らしに息づいていた漆。食器や家具、工芸品、建築などに欠かせない素材でした。先人達の暮らしの知恵はやがて美しい工芸を生み、日本の文化となって今に伝わっています。「明治時代以降の暮らしの西洋化で、漆が使われることが徐々に減っていき、それに伴って、漆の木を植える人、漆を掻く人、塗師など、漆に携わる様々な職人も少なくなりました。今や日本で使われる漆は9割近くを輸入に頼り、国産の漆は1割程度までになってしまいました。」
日本の大事な伝統であり、故郷の地場産業である漆の文化や技術を守るにはどうしたらいいのだろう?真剣に考え始めた、細越さん。そして始めた取り組みの一つが、荒れた山の手入れと漆の植林でした。

生まれ故郷の山の手入れをはじめとして、地元、岩手、そして東北エリアへと、漆の木の植樹の取り組みは「漆の森プロジェクト」へと輪を大きくしていきます。このプロジェクトや漆の植林活動を通して、岩手の旅をご一緒いただいている加藤さんとも出会われたのだそう。「何とか、したい」という細越さんの情熱は東北各地に広がり、その植樹は始まった2019年から数えて、3万本以上にものぼります。

「植樹した漆をご覧になりますか?」と、上米内の山へ案内してくださった細越さん。目の前に広がるのは、森になる前の、漆の苗木が根づく畑でした。それもそのはず、植樹は4年前に始まったばかり。漆樹液を採取できる成木になるまでに15年~20年もかかる漆は、簡単には増やすことができないのです。

この地で、細越さんは新たな挑戦を始めていました。「成木になったら伝統的な漆掻きに役立てる予定ですが、そのほかにも樹齢7年ほどの木から漆を採取する新しい方法を、大学の先生と共同で探っています。研究が成功すると、従来の半分の期間で漆が採れ、もう20年も待つ必要がなくなります。」と細越さん。「漆や伝統文化に携わる人々にとって、大きな希望になりますね。」と加藤さんもうなずきます。

漆は私たちが想像する以上に、大きな可能性を秘めているようです。細越さんは漆の苗づくりや種の販売にも携わり、樹液の採取後に伐採された漆の木を木製品や木材として活用する方法を探っています。「漆はデリケートな素材で、扱いは簡単ではありませんけどね。」と話す表情は生き生きと輝いて、とても愉しそうです。その活動に賛同する加藤さんが、「漆の手触りはしっとりとあたたかみがあって、誰でも受けとめる懐の深さを感じます。漆に携わる人も、そんなところがある。だから心惹かれるし、触れ合うたびに発見があります。」とお話をくださいました。

それでは、JR上米内駅に戻りましょう。駅の待合室には併設するカフェがあり、漆の魅力にふれられるよう細越さんが運営を担っています。漆の植樹活動の輪を少しずつ広げながらも、「地元の人たちがもっと気軽に漆に親しめる方法があれば。」と考え始めた細越さん。ちょうどその頃、JR東日本が無人駅を地域のために活用するアイデアを募集していました。「上米内の漆の山にも近く、人が行きかう上米内駅を、漆文化の発信拠点にしたい」とピンときた細越さんは、“漆仲間”の一人であるNPOウルシネクスト理事の佐々木亨さんと企画を練りました。そのアイデアが採用され、上米内駅の駅舎は「漆の森づくりプロジェクト」のシンボルとなる漆カフェに生まれ変わりました。

漆カフェには、漆にまつわるグッズがいっぱい!漆の器やアクセサリー、漆インクでプリントを施したバッグなどがずらりと並びます。なかには、加藤さんが漆の植樹活動を応援するために立ちあげたブランド「ウルシピクニック」のグッズも!
「多くの方に漆文化を知ってもらうために、漆染め体験や漆職人による実演などのイベントも行っているんですよ。」と細越さん。「それはそうと、ちょっと休憩しませんか。」と淹れてくださったのは、漆の実を焙煎した漆茶です。香ばしい風味にほっと心が安らぐとともに、漆がここまで幅広い用途に生かされていることに驚きました。

細越さんは、上米内の山でやがて漆が採取できるようになり、その漆で製品をつくり、上米内が漆文化の新しい発信基地となる夢を語ってくださいました。その情熱の原点は、“地域を元気にしたい”という願い。「漆を通じて地元がもっと愉しくなればうれしいし、漆をよく知らない人も気軽に立ち寄れる駅舎であってほしい。実際に今では、子どもの遊び場になったり、近所の方が世間話をしにきたりしてくれるんですよ。」
塗料としてだけでなく、補強材や接着剤として重宝されてきた漆。細越さん達を見ていると、漆が人と人を結びつける接着剤のように思えてきました。漆の木が育てば、やがて伝統文化と未来をもつないでくれることでしょう。

2023年4月現在の情報です。