愛された美しき芸、たしなみとしての能
-
「能」は今からおよそ650年余り前、観阿弥・世阿弥が「猿楽の能」を大成したことに始まる日本の伝統芸能で、室町幕府将軍・足利義満を筆頭に、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康など、多くの武将たちに愛されてきました。
徳川時代に、組織的な保護を受けた「能」は、大名や武家の必須のたしなみとして、また芸能としても大切にされました。武家の「能」に関する貴重な名品が多く伝わる大大名家・尾張徳川家で、どのように愉しまれたのか徳川美術館学芸部・吉川美穂さんにお話を伺いました。
-
「当館の能面126面、狂言面30面のコレクションのなかには、室町時代の伝説的な能面の作者である日光や、秀吉から“天下一”と称えられた是閑吉満(ぜかんよしみつ)作と伝わる面(おもて)など、数多くの名品が含まれています。」その圧倒的な質の高さとボリュームが、尾張徳川家では常日頃から多彩な演目が上演され、豊かな能の文化が継承されてきたことを物語っています。
-
徳川家康が、幼い頃から親しんだ「能」を公式の芸能「式楽」として保護したことから、各藩のお屋敷でも能舞台が設けられ、新年の「謡初(うたいぞめ)」や、将軍をお迎えする「御成」をはじめ、来客接待から誕生や婚礼などの節目の祝いの席で、能が演じられました。また、私的な場で月見や姫君のための宴でも演じられたようです。」このように、尾張徳川家でも能は暮らしに欠かせない存在でした。
「当館の能面126面、狂言面30面のコレクションのなかには、室町時代の伝説的な能面の作者である日光や、秀吉から“天下一”と称えられた是閑吉満(ぜかんよしみつ)作と伝わる面(おもて)など、数多くの名品が含まれています。」その圧倒的な質の高さとボリュームが、尾張徳川家では常日頃から多彩な演目が上演され、豊かな能の文化が継承されてきたことを物語っています。
能装束の絢爛美にうっとり
-
-
約200点を数える能装束コレクションは、様々な役柄に対応できるバリエーションと絢爛豪華を誇り、その超絶技巧と言える模様、織、刺繍の美しさに、時を忘れて眺めてしまいます。なかには、アメリカ独立200年記念行事のひとつとして米国で開催された徳川美術館所蔵の「能装束・能面展」で、当時新任早々であったカーター元米国大統領夫妻がその見事な意匠に感嘆されたという麗しい装束もあります。「ほかにも小道具約700点が遺されており、そんなところからも能が手厚く保護されてきたことが想像できます。」
能の創始者である世阿弥の時代は日常の衣服を能装束として用いていたとされますが、桃山・江戸と時代が進むにつれて能装束はより豪華になっていきました。絹織物を基本とする能装束のなかでも代表的な「唐織」は、金銀の糸をまじえた浮き織りで立体的に模様を織り出す、とても手の込んだ逸品。「まさに西陣織の技術と、大名の能への情熱の結晶といえるでしょう。」と吉川さん。
幽玄の音色を奏でて
-
-
能の楽器は、笛(能管)・小鼓・大鼓・太鼓という4種の楽器(四拍子)で構成され、演奏者は囃子方と呼ばれます。徳川美術館の楽器コレクションから、吉川さんが2つの楽器にまつわる興味深いエピソードを紹介してくださいました。
「『二条城会見』といえば、おそらく皆様もご存知の、徳川家康が京都・二条城で豊臣秀頼と会見した歴史的出来事です。家康はその答礼の使者として、後に尾張徳川家初代となった9男・義直と10男・頼宣(後の紀州徳川家初代)を、大坂城の秀頼のもとに遣わしました。秀頼は当時12歳と10歳だった2人の使者をねぎらい、義直に小鼓を、頼宣には笛を贈りました。稲の切り株を蒔絵で表した「苅田蒔絵小鼓」は、その時に義直に贈られた小鼓です。「大根巴蒔絵小鼓」も、初代・義直の所用品として伝わっています。胴に描かれている模様は、なんと大根…!? 「切り株や大根は、『根を張る』ことが 『音を張る』に通じるからと、楽器のモチーフとして好まれました。」と微笑む吉川さん。いにしえの人たちの遊びごころに何だか親近感を感じます。
大名の暮らしとともにあった能
-
-
尾張徳川家では、江戸の藩邸や地元の名古屋城に、複数の能舞台を所有していました。藩主が初めてお国もとの名古屋に入った時は、「入部能(にゅうぶのう)」と呼ばれる能のお披露目があり、武士だけでなく寺社や町の人々もご招待にあずかったそうです。
「歴代藩主のなかでは、2代光友が能の愛好家として知られました。同じく能を愛した5代将軍綱吉が江戸城で能を催した際に、光友が「江口」、3代綱誠(つななり)が「杜若」のシテ(主人公)を務めた記録が残っています。」
大名家の夫人や姫君は舞台に立つことがなく、もっぱら鑑賞する側でしたが、武家女性の着物の意匠である「御所解模様」には謡曲をモチーフにしたものも多く、女性も能をたしなみ、好まれたことがわかります。
当時の異国モード!? 狂言「唐人相撲」の装束
-
充実した狂言コレクションにも、注目してみましょう!特に大曲「唐人相撲」に関するものは44件もあり、江戸時代以前の「唐人相撲」の装束と小道具がまとまって保存されている全国的に見ても稀なコレクションだそうです。
-
かつて能や狂言の舞台で、演者たちによって命を吹き込まれた装束や小道具たち。もしかしたら、お殿様が自ら身につけられたこともあったかも?そんな想像もふくらむウェブサイト上の能コレクション、お愉しみいただけたら幸いです。
-
唐人たちが着飾る装束や中国風の道具の、なんと色鮮やかでモダンなこと!装束は上衣とバッチという袴からなり、帽子や唐団扇、傘などもそろいます。ラシャやビロードといった希少な輸入生地が贅沢に用いられ、衿や袖に施されたフリルが異国情緒を高めています。
さて、「唐人相撲」はどのようなお話なのでしょう?「中国・唐に暮らした日本の相撲取りが皇帝(シテ)に帰国を願い、皇帝は名残に相撲が見たいと望みます。通辞(通訳)が行司となり、相撲取りが次々と対戦相手を打ち負かし、とうとう皇帝自身が相手に…という内容です。「唐音」という、でたらめな中国語の大合唱があり、柱をかけのぼるなど、アクロバティックな動きで見ごたえがたっぷりの演目です。」と吉川さん。
かつて能や狂言の舞台で、演者たちによって命を吹き込まれた装束や小道具たち。もしかしたら、お殿様が自ら身につけられたこともあったかも?そんな想像もふくらむウェブサイト上の能コレクション、お愉しみいただけたら幸いです。
-
特別公開 尾張徳川家の雛まつり
●4月2日(日)まで
女の子の健やかな成長と幸せを願う雛まつりは、尾張徳川家でも大切な行事の一つでした。尾張徳川家に伝わる雛人形や雛道具を中心に、大名家ならではの豪華で気品ある雛の世界をご紹介します。
蓬左文庫 企画展
読み解き 近世の書状●4月2日(日)まで
織田信長や豊臣秀吉、徳川家康など、近世に生きた人びとの書状を展示し、興味深い逸話や書状からうかがえる書き手の人柄、人間関係などをご紹介します。
特別展
大蒔絵展―漆と金の千年物語●4月15日(土)~5月28日(日)
漆で文様を描き、金銀の粉を蒔きつけて装飾を施す「蒔絵」は、日本の美の象徴であり続けてきました。MOA美術館、三井記念美術館、徳川美術館の3館共同開催の最終タームの本展では、平安時代から現代にいたる各時代の選りすぐりの蒔絵をご紹介。国宝や重要文化財を含む物語絵巻や仏教経典、能の道具なども展覧し、漆と金がつむいできた千年の美の系譜をたどります。
能の世界―神・男・女・狂・鬼―
●4月15日(土)~5月28日(日)
2023年1月現在の情報です。
-
御三家筆頭の尾張徳川家に受け継がれた大名文化を後世に伝えるため、19代義親により1935年に設立された美術館。「源氏物語絵巻」をはじめとする国宝9件、重要文化財59件など1万件あまりの美術品や歴史資料を収蔵。大名家伝来家宝のコレクションとして日本最大規模を誇ります。
■徳川美術館
〒461-0023 名古屋市東区徳川町1017 TEL.052-935-6262https://www.tokugawa-art-museum.jp休館日/月曜日(祝日・振替休日の場合は直後の平日)