日本の美しい芸術の未来を創る担い手たち。
今春から、新シリーズで日本の文化、芸術を伝え、未来を創る担い手たちをご紹介していきます。第1回は、世界に誇る日本の芸能「能」の道を歩む若き能楽師、観世三郎太さんを訪ね、お話を伺いました。
能楽は、観阿弥・世阿弥父子によっておよそ700年前に完成された世界最古の舞踊劇、または仮面劇とされ、もともとは神様に奉納するために屋外で行われていた、日本が誇る伝統芸能です。
三郎太さんは、観阿弥・世阿弥・音阿弥を先祖とする観世宗家に生まれ、お父様の二十六世観世宗家・観世清和さんに3歳から手ほどきを受けて育ちました。
能の子役をさす「子方」を勤めていた幼い頃のお話を伺うと、「牛若丸など舞台で敵を次々に倒していくのがカッコ良く、そんな役が魅力的で純粋に楽しかった。」と三郎太さん。5歳で初舞台「鞍馬天狗」花見の稚児を勤め、12歳で、その義経の元服を描いた演目「烏帽子折」に、「師である父と舞う元服の場面に、大人の道へ一歩踏みだす“けじめ”を感じながら臨んだことを思い出します。振り返ると、子方の道は“義経にはじまり、義経に終わる”ものなのかもしれませんね。父から成長に合わせた稽古をつけていただき、1曲1曲を身にしみこませてきた格別な思いのある一番です。」
大学を卒業した2022年の秋、「烏帽子折」で今度は牛若丸の敵役を勤め、「子方を前に、幼い頃の自身を思い出しました。“息をいっぱい吸って、大きな声を出して…”と、先生につけていただいた稽古の基本を精一杯に勤めていた僕が、子方の息使いと動きを気にかけながら舞っている自分がいて、僕も周りの方々に支えられて舞台を無事に勤めさせていただいてたのだと、見える景色が変わり、見守り育てていただいた先輩方の温かいまなざしを思い、感謝の気持ちが一層強くなりました。」
「能楽師の家に生まれ、赤ん坊の頃から能がある暮らしですから、いつだったかはっきりしないところがございますが、まだ中学へ上がる前、子供ながらに能の良さが何となくわかりかけた頃、“あぁ、いい曲だな…”と感じ、夢中になりました。それが「丹後物狂(たんごものぐるい)」です。天橋立の知恩寺への願掛けで授かった子と父の物語で、物語ゆかりの地を訪ねたり、物語について調べたり。復曲のプロジェクトに携わったことも大きかったのですが、この曲との出会いが、僕を能に夢中にさせたきっかけの一つだと思います。
生き別れた愛しいわが子と父が智恩寺で再会を果たすドラマを、実の父子である清和さんと三郎太さんが演じた、2009年の伝説的な公演です。物語と共鳴するように、生き生きと舞う三郎太さんが目に浮かぶようです。
一人前の能楽師としてのスタートとなる初面(はつおもて)の舞台「経正(つねまさ)」で、「ここからは甘えも言い訳も一切通用しない。さらに精進し、能の道をひたすらに歩む第一歩の日と考えました。この時から、僕なりのけじめで父を“先生”とお呼びしています。」
「憧れの父は、追いつきたくても遠い背中。日々精進されているので遠ざかるばかりですが、最も敬愛する人が父であるその幸せをかみしめています。お稽古は、師の所作・謡をくりかえす「おうむがえし」が基本。「先生を全方位から拝見していると、1ミリも気を抜かないその偉大さがわかり、繰り返しの稽古で自分の身体に入れていきます。たゆまぬ研鑽を重ねた何年後、何十年後かに自らの芸となり、“まことの花”が咲くのだと、先生はおっしゃいます。」
2022年6月、「翁(おきな)」のシテという大役を初めて勤めた三郎太さん。GINZA SIXの観世能楽堂で、三郎太さんの祖父に当たる先代・二十五世左近元正さんを追善する三十三回忌での特別な公演でした。
「『翁』は“能にして能にあらず”といわれ、能の原点である神事の性質が強く、別格。天下泰平、国土安穏への祈りが込められた神聖な曲です。今回、初めてシテの翁を勤めるにあたり、観世家に伝わる心得や技を、先生から教わりました。」
今の僕ができるすべてを注ぎ込んで最高の翁を表現したい。ただその一心で臨みました。
一方、先生の清和さんからは、「1回の上演くらいでは、教えたことを全てできるようにはならないもの。これから何回も繰り返して覚え、大事にしなさい。」と少々厳しくも思える言葉をかけられました。「先生は直接ほめることはめったにされません。注意やお叱りは、『もっと精進できる』という期待やエールと受けとめています。だからうれしいし、光栄なことと受け止めています。」
新しきが花(新しきものこそ、おもしろい)。
世阿弥が「風姿花伝」に記した言葉に導かれるように、三郎太さんは様々な舞台を意欲的に勤められています。また、次世代を担う能楽師として「若い世代にも能の魅力を伝え、愉しんでいただきたい。」という想いを抱いています。
そんな三郎太さんに、初心者におすすめの演目と愉しみ方を紹介していただきました。「ダイナミックな舞、動きを愉しまれてみては?演目を挙げるなら、土蜘蛛の精が手から蜘蛛の糸を投げ、糸まみれになった武者と戦うシーンがおもしろい『土蜘蛛』。紅白の獅子がダイナミックに舞う『石橋(しゃっきょう)』も、見どころたっぷりですよ!」
近年は、能と最先端コンピュータ・グラフィックスが融合した「スペクタクル能」や、GINZA SIX 5周年を記念して催された「蝋燭能」といった、新しい能の“魅せ方”にも挑戦されています。「能の基本はずらさずに、時流に沿いながら能の愉しみを広げることにも取り組みたいです。能と聞くと『寝てしまうとダメでしょ?』『正装で行かなきゃ』と思い込んで尻込みする人もいらっしゃいますが、意外にも同世代は能を新鮮に感じるようで、一度体験すると『また見たい』と言われることが多いです。幅広い世代の方に、気軽に親しんでほしいと願っています。」と三郎太さん。これからどんな素敵な舞で、私たちを魅了してくれるのでしょう。その眼差しは、未来に向けられています。
「能がある人生が、僕の人生」と三郎太さん。「能の稽古は、食事や歯磨きと同じくらい暮らしの一部です。稽古がないと、落ち着かないのです。好きというより僕の一部になっているのだと思います。毎日の稽古は続けながら、一方で、能だけでなく広い世界をみて欲しいという父の方針のもと、学生時代は生徒会長を務め、バスケットボールに打ち込んだ充実した学生時代を過ごさてもらいました。多忙な父と僕の橋渡しをし、稽古に向かう橋渡しをしてくれた母がいたからこそ、続けてこられた道でした。
2019年春にJOY CLASS編集部が観世宗家・観世清和さんを取材させていただいた折、日本の美徳“やまとこころ”について伺ったことがありました。「“やまとこころ”とは和歌からきた言葉で、日本人ならではのしなやかさや清らかさ、感謝のこころでしょうか。」という清和さんの言葉が蘇ってきました。目の前の三郎太さんは“やまとこころ”を舞っているのだ、と。
多くの愛情や教えを受けながら、まっすぐに自分や能と向きあい、まい進してこられた三郎太さん。香り立つようなその美しい舞に、日本人が大切にしてきた精神、お父様の面影、三郎太さん自身の人生が重なってみえるようです。
日本の美“やまとこころ”が、そこにありました。