丁寧に暮らす喜び~姫君が愛したお召し物~今に伝わる大大名家 尾張徳川家・姫君の暮らしから ー徳川美術館ー
尾張徳川家に伝わるコレクションから、姫君たちのお召し物や楽しまれていたおしゃれをご紹介。
徳川美術館の吉川美穂さんにお話を伺いました。
江戸時代の姫君は、日々どのように過ごし、楽しまれていたのでしょう。
年齢、季節、日時によって異なる、姫君の装い
徳川美術館では、尾張徳川家の姫君がお召しになった着物や装飾品を収蔵されています。そこから見えてくるのは、彼女たちの日々の暮らしや楽しみ。今回は、室内で過ごすことが多かった姫君のファッションやライフスタイルについて、学芸部・吉川美穂さんにお話を伺いました。
「江戸時代は、年齢、既婚か未婚か、また、お立場によって服装に細かい決まりがありました。」 現代の暦とは異なり、江戸時代の尾張徳川家では、祝日と平日に加えて、毎月の1日・15日・28日を式日と呼び、姫君たちは祝日・式日・平日ごとに決められた服装をお召しになっていました。もちろん、季節ごとに装いは変わります。「さらに、大名家の正室ともなると1日に4~5回着がえるのが普通でした。午前中は対面の儀式があったので格が高い着物をまとい、午後は少しくだけた服装になります。朝や夕方にも着がえ、髪型も変えていたのですよ。」と吉川さん。
将軍家や御三家の正室は公家から嫁がれた方が多く、正月には公家の正装である袿袴(うちきはかま)を身につけました。とはいえ、華やかに装うのは祝日や式日くらいで、普段はつつましやかな着物をお召しになっていたようです。
名作のシーンを絵柄に。「御所解文様」はお好み?
着物の柄は、姫君様のお好みのものをお召しだったのでしょうか? 「屋敷内で過ごす姫君にとって、古典文学の世界は夢見る憧れの対象だったことでしょう。」と吉川さん。「平安貴族の装束に用いられた『有職(ゆうそく)文様』に花束や花車、花筏(いかだ)を組み合わせた柄が、最も格式高い」とされていて、また式日の準礼装には、「源氏物語」などの物語や和歌、能の謡曲のモチーフをあしらった「御所解(ごしょどき)文様」をお召しでした。徳川幕府が公式芸能に定めた能は、武家にとって必須のたしなみでもあり、また「御所解文様」は、文学や能に親しまれた姫君たちの心の豊かさや、教養の深さを表すお召し物だったのですね。
こだわりが込められた、姫君の着物のオーダー帳
尾張徳川家には、着物の柄のオーダー帳「雛形」がのこされています。そのなかに、「この左の小袖雛形だと、雛形よりも滝を狭くして格好よく」といった指示が書かれたものがあります。お召し物に優雅さや女性らしさを求めた姫君たちの想いは、現代の私たちにも通じるものがあります。
「松坂屋百貨店の前身である伊藤屋の雛形も残されているんですよ。」と吉川さん。伊藤屋の商標とされる「まるふじ」や「伊藤」の印がついたものがそれにあたります。百貨店でファッションに胸をときめかせる今の女性のように、姫君たちもワクワクしながら次に着たいお召し物をイメージしていたのかもしれませんね。
手づくりや柄のコーディネートを楽しんだ懐中物入
懐中物入は、今でいうポーチにあたります。押絵で草花や動物を表現した文様が、なんと色鮮やかで美しいのでしょう!
懐中物入の内側と簪差し(かんざしさし)が、同じ柄でコーディネートされているのがおしゃれです。2つはセットで使われていたようです。なかには、奥方たちによるお手製とされるものもあります。手づくりを楽しみながらおうち時間を充実させた姫君たちを想うと、時空を超えて心がつながったような気持ちになります。
徳川美術館の紹介
御三家筆頭の尾張徳川家に受け継がれた大名文化を後世に伝えるため、19代義親により1935年に設立された美術館。「源氏物語絵巻」をはじめとする国宝9件、重要文化財59件など1万件あまりの大名道具を収蔵。
大名家伝来家宝のコレクションとして日本最大規模を誇ります。
〒461-0023 名古屋市東区徳川町1017 TEL.052-935-6262 https://www.tokugawa-art-museum.jp
休館日/月曜日(祝日・振替休日の場合は直後の平日)